2/03/2013

アイコンタクト


ヨーロッパ諸国にも一般的に言えるかは俺は分からないけど、俺が聞いた所では少なくともアメリカでは人と向かい合って話している時は相手の目を見て話すのが普通な事(マナーとか礼儀なのかは置いておいて)なんだって。と言うのは、相手の目を見て話さないって言うのは自分に自信が無かったり、本当の事を言っていないとか、その話している相手に興味が無いというふうに取られるらしい。

日本(或は日本人)では相手の目を見て話さない人が少なくないと思う。現代では多少こういった意味合いは薄れて来てると思うけど、伝統的な習慣としては相手の目を直視して話さないのが礼儀みたいにされてるのもあると思うんだけど、俺はアメリカ人でもなけりゃアメリカで育ったわけでもないけど、相手に自分の目を見ないで話されるとなんか気持ち悪い。その話してる相手の事が気持ち悪いって意味じゃなくて、相手が自分の目を見て話してないというのはどうもしっくり来ない、気持ちが良くないという事。「この人俺に対して喋ってるんだよな?」とか「真面目に話してる?」とか「何かをちゃんと俺に伝えたいという気があって話してるのか?」と思う。上司-部下だったり、先輩-後輩だったりそういう上下関係無しにしても、誰が相手でもそう感じる。そうは言いつつも、やっぱり上司だったり先生だったり自分に指示を出したり何かを教えたりする人がそれじゃあ不安になる。「もっと自信もって言ってくれ」って思う。そして自分が何かを指示したり教えたりする人がそうでも「こいつちゃんと俺が言った事分かったのかな」と思う。

まぁビジネスの場面だったり、それ以外の普段のコミュニケーションでも相手の目を見て話す事はマナーでもあり当たり前の事とされてる面ももちろんあるけどね、少なくとも現代は。それこそ武士とか大名とかそういう社会的に絶対的な「階級」とかがあった時代ではそういう格上の人と話す時は相手の目を直視して話すのは敵対心とかを表すとされてた時代もあっただろうし、正に御門の前には簾みたいなのがあって、家来達はそれを通して御門と話してたって言うしね。それは御門の顔を直接見るのは大変失礼であるとされたからと聞いたけど、少なくとも日本では「見る」という行為には色々な意味が持たれてるよね。

まぁ俺としても大まかに言っても相手を見る事、そして相手の目を見る事というような、相手に視線を送る事はその相手への何らかの意識があるを示しているわけで、聞いた話ではそれこそニホンザルは目を見ると自分への威嚇、攻撃の意志の現れと捉えられて攻撃してくると聞いた。猫も目を直視するのは何かの意味と捉えられるって聞いたし。だから視線が表すものっていうのは人間にとっても何かしらあるものだよね。

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