9/29/2012

中, 韓の最近の反日動向について思う事


最近、日本の中国と韓国との政治的対立が目立ちますが、領土問題はやはり、お互いの国を好きでその国の人とか物を好んでいても別だとは思いますが、反日的な感情を持っている者の中には、これもまた領土問題で熱くなるのとは別問題であろうと思う事でありますが、「日本(人)は第二次世界大戦中(もしくはそれ以前から)我が国(中国/朝鮮)へ犯した罪を償うべき/謝罪するべきだ。」と言う人がいます。

謝罪をしないという事は確かに、謝罪をしている場合と違いますが、私からしてみれば、何故そんなに謝罪(だけではないのでしょうが)に拘るのだろうと思うのです。歴史の史料などで日本軍が行っ多数の行為の一部でも見ると、日本人としても日本は酷い事をしていたなと思います。軍国主義であった旧日本が行った行為は確かに酷く、その罪は確かに重いでしょう。そして、謝罪したから、賠償したからといって償われる事ではないでしょう。過去は変える事は出来ないのですから。

ただ、言ってみればそれはもう60年以上も前の事です。そんな事を言うと「過去に行われた醜い事は、時間が経てば許されるのか」となるでしょう。いいえ、そんな事はありません。しかし、過去に起こった事をずっと根に持っていたらお互いの国の為、また彼ら自身も良い生き方が出来ないでしょう。誰かや何かを憎みながら生きる人生は私だったら嫌ですから。

私個人の範囲の話をしますと、私は自分がした事で自分に責任がある事、間違っていた事、悪いと思った事はちゃんと謝りますし、それは他の人にも望む事です。自分が犯した過ちを認めず、それについて謝罪をしない事は、苛立ってしまいます。ですから、彼らが日本が謝罪をしていない事を問題に上げるのも分かります。

ですが、もう少し広い視点で見た時、ある罪を犯した国が、被害国に対して謝罪をしていなどよくあります。だからと言ってそれが正当化されるわけではありませんが。例えばアメリカです。彼らは日本に原爆を二発も落として何十万人もの人を殺しておきながら、日本に対して未だに正式に罪を認めた事も謝罪をした事もありません。そもそも日本が先に攻撃してきたと。それどころか、あの行為は正しかったとすら言っています。そしてそう国民にも教育しています。原爆を落として日本を降伏させた事で、多数のアメリカ兵だけでなく、日本側の兵士や国民が奪われる事や苦しい生活を続けていく事から救ったという考えでさえいます。アメリカ国民と日本国民だけでなく、日本が降伏せずに長引いていた第二次大戦を終わらせた事で、世界の他の国の為でもあったとも言っております。ただ実際、それに関しては、私は日本側とアメリカ側の意見、両方理解できる部分があります。確かに、多くの日本人が原爆によって殺された事は酷い事ですし、日本人からすればそれは酷い事以外の何物でもないでしょう。日本からしてみれば「アメリカは罪のない民間人を何十万人殺して、酷い事をした」となるでしょう。アメリカからしてみれば、上記のように「日本が先に攻撃を仕掛けてきた。自国民を救うため、そして結果的に多くの日本人も救った事になる。」となるでしょう。日本は「日本が先に攻撃を仕掛け、殺したアメリカ人は民間人ではなく(民間人も含まれていたが)あくまで軍人であり、攻撃した場所も軍事基地だ」とも言えるでしょう。しかしそうしたらお互いただの水掛け論になります。

こうしてアメリカから、どちらの方が酷いとか先にやったとか関係なく、単に客観的な視点として「非人道的な事(原爆による多数の民間人の殺害)をされた」立場である日本は、どうでしょう、アメリカを憎んでいますか。勿論、第二次大戦時代を生きてきたお年寄りの中では特にそういう感情を今でも持っている人はいるでしょうし、今の時代を生きる若い世代の中にも、歴史的な事実からアメリカに対して憎しみや嫌悪の感情を持ってる人も少なからずいるでしょう。しかし、一般的にみて、日本人はアメリカ人に対して敵対心や憎しみは持っていません。原爆を二発落とされ、その事を謝罪されてすらいないのにです。少なくとも、私はアメリカやアメリカ人の事を恨んではいません。確かに、アメリカが日本にした事は決して素晴らしくも喜ばしい事でも忘れていい事でもありませんし、事実私は原爆の事を決して忘れませんし、それは日本人は誰も忘れてはいけない事であるとも、世界の人も忘れてはいけない事だとも思っております。ですがそれは「アメリカがした酷い事」とか「アメリカを憎む」為ではありません。そういう、人間による醜い行為を、誰もが繰り返さない為の教訓としてです。誰かが「アメリカがした事は正しい」言うのをと聞くと、どうしても苛立つ感情は湧きます。それは決して賛成出来ません。人を殺す事に正しいも何もなく、私の考えとしては「日本がパールハーバーでやった事も酷い事。そしてアメリカがやった事も酷い事。どちらが悪いとかどっちの方が罪が重いもない」ですから。

中韓の事に話を戻しますと、彼らはきっと日本が過去に犯してきた事がどんなに酷かったかという事を、場合によっては「日本(人)は野蛮だ」と思わざるを得ない教育を受けて育ってきたのでしょう。そして、その日本は未だに謝罪していないと。そういう教育を受けて育てば、日本そして日本人に対して好意的な感情は持てない人がいるのも理解出来ますし、それは必ずしも悪い事だとは思いません。何故なら、それは裏を返せば自分の国への、もしかしたら行き過ぎたものなのかも知れないですが、愛国心なのでしょうから。自分の国、先祖達に酷い事をした事を許せない気持ちは理解出来ます。先祖が酷い事をされて嬉しい人はいないでしょう。

ただ、過去に彼らの先祖に酷い事をした人達も今は過去に生きた人。地面の中で眠っています。その人達を責める事も、たとえ責めたとしても何にもなりませんが、私がもっと苛立つのは、同じ日本人、私たちの先祖とはいえ、彼らがやった事を「今の日本人も責任がある、また責任を取らなければならない(謝罪や罪の意識を感じる事)」と考えている者がいる事です。私は決してそうは思いません。少なくとも私は、日本が彼らに対して行った事に対しては、「日本は彼らに酷い事をした」という気持ちや、犠牲者となった人達やその子孫の今を生きる彼らに対しての同情の意はあります。しかし責任や罪の意識などといったものは決してありません。彼らに、謝罪しろと求められても決してしません。"I feel sorry"ではあるが"I am sorry"でも"I feel guilty"でもないのです。何故、私が彼らの先祖を殺したわけでもないのにそれに対して責任を負ったり謝罪をしたりしなければいけないのでしょうか。ただ、日本が加害国として未だに謝罪をしていないというのなら、それは謝罪するべきだとは思います。しかし、謝罪をしたら(言葉だけの形だけではなく誠実に謝罪を表したとして)彼らはすんなり過去の事に関しては日本、そして日本国民を許すのでしょうか。許さないとしたら、どうすれば許すのでしょうか。果たして、そもそも「許す」という事は可能なのでしょうか。

どの国の人でも、他の人を殺す事は酷い事(戦争という非日常の中ではそれは避けられない事であるが)であり、戦争で死んだ人に対しては、私は悲しい気持ちしか湧きません。日本人が殺したアメリカ人、中国人、朝鮮人、なに人に対しても「様見ろ」とも「よし、日本人がお前等を殺してやった」とも私は思いません。パールハーバーで日本兵によって殺されたアメリカ人に対しても、広島、長崎でアメリカが落とした原爆によって殺された日本人にも、同じように悲しい気持ちに私はなります。誰かが死ぬという事はそういう、悲しい事なのです。

Kouhei

- Sep 29 2012

9/25/2012

生まれてきたということ、生きているということ。

生きるということは簡単な事ではありません。勝手に生きている、ということはないのです。
生きるということは常に能動的であるもので、生きているということは、生きているからなのです。

何故自分は生まれてきたのだろうと思う時があります。何か理由があるのだろうと思います。

ですから、生まれてきた以上、死ぬまで、どんなことで死ぬかは誰も分かりませんが、自分の命を全うしなければならないのです。そういうことなのです。

そして、途中で諦めたりしてはならないのです。生まれたてきたことによって味わう苦しみも、それから逃げられない辛さも、共に生きるのが人生なのです。生きていくということなのです。