12/18/2012

家族内だけでの変わった言葉

我が家では、と言っても俺と母の間でだけだけど、風呂を沸かし直しして熱くなってる事を「アチチ」と言う。

使い方としては「風呂アチチ?」とか「風呂アチチにしてきた?」とか「風呂アチチにして出てくるからすぐ入って」とか。

見て分かるように、「熱い」から来てる言葉。でも風呂が冷めてぬるいのを「ぬるる」とも「ヌルヌル」(そもそもヌルヌルだと違うニュアンス、印象にもなると思うけど)とも言わないし、冷たくなった事を「つめめ」とも「さめめ」とも言わない。だからアチチ限定なんだよね。「ぬるる」と「さめめ」は使い始めればいけそうな感じがするけど。

そんで最近俺は新しい言葉を使い始めてる。「ブクブク」。沸かし直しの温度を42℃とか熱めの時に使う。沸騰した水のブクブクした様子から。実際は風呂のお湯が沸騰とかないし、そもそも熱くて入れない程熱くしないし、だからいまいちブクブクは浸透していない。と言ってもそもそもアチチすら使ってるの俺と母の間でだけなんだけどね。

みんなはどんな言葉をうちで使ってる?家族間だけ、もしくは俺みたいに特定の少数の家族のメンバーとだけ交わす言葉とかある?

あ!あとこれがあった。関ジャニのチャンカバーナっていう歌を前に妹がドライブの時に聞いてて、「チャンカバーナ」って言葉を俺と母が最初聞き取れなかった事と、後で何て言ってるか分かった所で意味が分からない可笑しな言葉(チャンカバーナ意味自体は調べたから分かったけど)だったって事から、俺と母の間では万能の言葉として使い始めた。状況に応じて、「チャンカバる」とか「チャンカバってる」とか。意味としては、最近は専ら「酒を飲む」って事を指して使われてる。

使い方としては、帰宅してすぐ缶ビールとか飲むと、「いきなりチャンカバーナかよ」とか「もうチャンカバーナ?」とか。「酔っ払ってる」って事も表せるから、「チャンカバった?」ってなると「酔ってる?(酔いの程度に関係なく、お酒をもう飲んじゃってる時に使う)」となる。具体的な使い方としては、家族の迎えとかを頼まれる時に、「チャンカバっちゃった?」とか、迎えに来て欲しい時に母にメールとかすると「もうチャンカバっちゃった」と来る。

Kouhei - Dec. 18 2012 1:44

12/11/2012

尾崎豊 ~ 彼の人生と俺の人生


尾崎は俺ずっと好きだしこれからもずっと好きだと思う。

すごく人間らしいと思うんだよね、彼の生き方が(映像とかから見える物以外のプライベートでも姿はもちろん全然知らないけど)。綺麗に見える様に生きてはないみたいな。自分の汚い部分もさらけ出してるみたいな。人間、欲を持つのは当たり前だし、弱い部分は誰にでもあるし。尾崎は10代の頃は「自由」とか掲げて生きてて、強がってる部分もあるように見えたけど、大人になっても弱い部分はある。彼は覚せい剤に手を出してしまったけど、まぁそういう部分で、どんなに人気があろうと偉業を成し遂げただろうと人間として失格と見る人もいるだろうけど、それはそれで構わないんだけど、俺は弱さに負けてしまうのも人間らしいと思うのよ。正直というか。俺はドラッグに手を出しちゃうのがしょうがないとか言ってるんじゃなくて、普通の人なら理性で社会的にやっていい事悪い事を判断して押さえてると思うんだけど、彼はそういうのが上手く出来ない人だったんじゃないかな。不器用で。でも不器用でも必死に生きてた様に俺には見える。例えばのりピーも覚せい剤に手を出した有名人っていう意味では同じだと思うけど、俺としては同じものには見えない。彼女は女だし、やっぱりアイドルであり女優(?)でもあって、キレイに生きるって部分は大きいと思う。汚く、貪欲に、人間の人間らしい部分をさらけ出して生きるってのは出来ないだろうし、しない方がいいと思う。彼女自身の為にも、ファンの為にも。最近芸能界復活も煌びやかに果たして、また晴れ舞台に出て来てるし。綺麗に化粧して、マスコミに囲まれて、明るいライトを浴びて、そういう「キレイ」な舞台にキレイな姿で出て来てる。ごめんね、のりピーのファンがいたら。俺の価値観と視点で語ってるだけで、のりピーの生き方は否定してる訳じゃない(そう見えるかも知れないけど)し、のりピーのファンも否定してないよ。あと、「それに比べて尾崎はなんて素晴らしい」とかみたく、尾崎を崇拝してるつもりはないけど、ずっと憧れている存在って事。

ま、思うのはきっと俺の価値観として、「自分らしく」「正直に生きてる」人に惹かれるってのがあると思う。人に嫌われない様に振る舞ってたり、相手に合わせて生きてる人もいるじゃん。他人に良い人と見られたいとか、良い人を演じてる人。そういうのが悪いとは言わないけど、俺にとってはそれは「いいな」って思える部分じゃないの。汚きゃ汚くていい。綺麗に見せなくてもいいじゃんってのが俺の価値観で、そういう人に惹かれるし憧れる。俺もそういたいと思う。貪欲に生きようよ、と。

尾崎の歌に関しては、歌の前とか後に言ってる事はすごくクサいなって思う部分も多いし(それはファンでも俺はそう思う。「こいつカッコつけてるな」みたいな。)、歌ってる時だってカッコつけてる時も多いけど、一方でカッコつけてない姿もあると思うの。汗びっちょりだし、髪だってべちょべちょでクシャクシャだし、服装だってジーンズに白いTシャツとか、今で言っても、それこそ当時で言っても「ダサい」格好だと思うよ。他の衣装でも煌びやかな衣装では到底ない。汗びしょびしょになって、声も枯れて、声も出てない時もある。でも、思いとか魂が伝わってくるって俺は思う。アーティストだな、と。

この歌で言えば、尾崎のファンじゃない人には全然知られてない曲だと思う。I Love You とか Oh My Little Girl とか、卒業、シェリー、十五の夜とかにに比べれば全然。俺の好みと合うからこう感じるってのが大きくあるのは分かってる。でもメロディーとか、歌詞、どういう生き方をすればこういうのが創れるのかなって思う。

別に尾崎を好きになれとか聴けとか尊敬しろって言ってるんじゃないよ。ただ俺の思いを書きたかっただけ。尾崎の事が好きじゃなくても大嫌いでも構わない。ただ、否定しててもあえて俺に言わないで欲しい。笑 だって自分が好きな物を他の人は嫌いなのは別に嫌じゃないけど、否定されるのは嫌じゃない?俺まで否定されてるみたいで。俺は俺の好きな物を押し付けてる訳じゃないんだから、「は?尾崎とかクソじゃん」とかはいらない。俺は「好き」あなたは「嫌い」ってだけでいいと思う。

歌ってのはメロディーとか歌手の声とか歌い方とかで表情も全く変わってくるからこう言うのもおかしいとは思うけど、一度、この下の2曲だけでも良いから、「尾崎豊が歌ってる」って事と彼の歌い方とか声とか、好き嫌いが出てくる部分は抜きにして、歌詞だけを聞いてみて欲しいと思う。彼の生き方そのものって感じがするの。俺は。

彼の生き方とか、歌詞から受け取れるものは、俺が自分自身の生き方の、目標とは言わなくても糧にしてたりする部分もけっこうあるから、俺の事は好きじゃなくても良いから、俺自身の事を語ってるっていう意味でも、なんか知って欲しいなって思って。だから彼を否定される事は俺自身の一部も否定される気がして、それなら別に俺と友達としてとか付き合ってくれてなくてもいいって思うし。それだけ。

http://youtu.be/QmlHL_b5UaA (街路樹)

あともう一曲シェアさせてもらうなら、これ。http://youtu.be/QvVK0iL0Q4o 「太陽の破片」って歌。

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12/08/2012

人を信じる。そして、自分を信じる。


人を信じるというのは簡単な事ではなくて、俺なんかは、いつも、そして最後に信じられるのは結局自分自身だけだって思ってる。人は他人の事をどうしても完璧には解らないし、生まれてから死ぬまで、この体と共に生きる心はこの自分自身。自分以外に誰が俺の事を一番解るというのか。

だから俺は人の事を完全に信用も信頼もする事もないと思う。一生とは言わないけど、少なくとも今まで完全に信用出来ると思える人はいなかった。人は来、去る。去る人は沢山いるし、そういった人は結局信用する人ではないと思うのよ。

男でも、女でも。友達でも、恋人でも、家族でも。「この人は信用、信頼していい」って思える人ってのは、大金でも貸せる様な人。そして貸してくれる様な人。金のやり取りが基準って訳じゃないけど、本当に信用してるって言うのはそういう事だと思う。「何があっても最後に頼れるのはこの人」って人。金の貸し借りの話で言ったら、「何に使うか、どうして必要かは言えないけど今これだけの金が必要なんだ」って言われた時にポンと出しても良いと思える様な人。俺はそんな事俺にしてくれると思う人もしてやれると思う人もいない。

あとは、自分が死んだ時に色々な残された事を任せられる人。そういうのは全て家族に頼めるって人もいるだろうし、家族には知られたくない事や任せたくない事を持ってる人もいるでしょう。俺はいくつかある。こういうFBも、俺が死んだ後はどうしようかとか考える。他のネットのサイトだってあるし。金が定期的に入ってくる事もしてるから、その金は誰かの所に行くようにしようかな、とかも思うし。そういう全部のサイトのパスワードとIDとを紙にでも書いておいて、「俺が死んだ時はこの紙に書いてある事をしてくれ」って誰かに渡しとかないとなって思ってる。継続させてもらったり、俺のアカウントを消してもらったり。思いつく人は一人いるけど。中学からの付き合いがある奴。

まぁ話が逸れたけど、常に信用出来る者は自分自身と俺は思ってる。だからこの人を信用しようと自分が思ったら、自分を信じてその人を信用しようと思う。「俺はアイツの事は良いとは思わないが、娘の連れてくる男なら良い奴なんだろう。俺は娘は変な奴と一緒にならない信じてるから、娘を信じる。」みたいな。笑

ちょっと話をして、そう思った人がいた。疑いかけてたけど、まだその人から去るのは早いかなと思えた。「去るのが遅かったな」ってなる分には俺は困らないし。「去って失敗した」って方がイヤ。

12/03/2012

イチブトゼンブ

Awesome. B'zの歌の歌詞ってあんまりちゃんとto myself聴いたり読んだりした事なかったけど、この曲の歌詞良いなって思った。

恋人だけじゃなく、この歌詞の事って人間関係に全て当てはまると思う。ある人の一つの言葉、行動、考え、そして自分がその人にの事について「知ってる」と思ってる事から、その人をそれが「全て」と評価する。

その人の悪い一面を見て取って、その人の事を悪く評価してそう決め付けてたけど、後々それは間違いだったって気付く事あるし。その人の良い一面を取って…っていう逆もあるし。

でも「コイツの事全ては知らないけど、俺はコイツのここだけはtrueでhonestだと思うからコイツの事を信じてる」ってのはあるよね。

良くも悪くも人は他人の事を全て知るというのは、たとえその人の事を全て知りたくて努力しても、相手も自分に全て伝えようとしても難しい事だと思う。

(もしリンク切れちゃってたら、B'zのイチブトゼンブって曲について話してた。)

http://youtu.be/PEvRXQT6pU4

12/01/2012

死ぬほど人を愛する。

読んでみて、そうだなと思った。誰かを愛するというのは人間のすごく人間らしい事だと思う。そして「この人といられたら死んでもいい」と本当にそんな情熱的に思える人に出会えて、そんな人と一緒にいられてる人は幸せだと思う。中島みゆきの「糸」ですわ。「逢うべき人に出逢える事を人は"仕合わせ"と呼びます」だよ。俺はそんな人にまだ出逢えてないなぁ。そういう人に出逢えさえして、相手が俺の事を受け入れてくれるのなら、俺は俺の全てを相手に注ぎ与えるつもりでいるし、その準備も出来てるんだけどなぁ。

最近の人ってそういうの「重い」とかって思っちゃうのかなぁ。

http://bizmakoto.jp/bizid/articles/1211/30/news015.html