6/29/2013

人の顔を認識/識別出来る能力って不思議ですごい。

人間が人間の顔を認識/識別出来る能力って、考えてみたらすごい(逆に言ったらその能力が備わっていない人もいるわけで)。あとは例えば俺らが所謂"外国人"の顔を見分けるのも、定義とかはないけどそれぞれのパーツの特徴や全体のバランス/雰囲気から判断してる。髪や目、肌の色からの判断を除いたら、何で判断してるんだろうね。微妙なバランスやパーツの特徴の僅かな違いしかないよね。例えば日本人(人種的に)でも"外国人ぽい"顔の人もたまにいるし、どういう事からそう判断してるのか。大抵は鼻が高いとか彫りが深いとかだけど。面白い。言ってみたらスマイリーマークみたいな絵でさえも「顔」として認識出来る(してしまう)この能力。あんな丸二つと曲線だけの「図形」でしかないのに。

男の体毛のケア、そして身だしなみ。

最近は男でも所謂ムダ毛だったり足や脇の毛のケア(処理)をする人も増えてきてるらしくて、それ自体は「美」の意識なのかただの「身だしなみ」なのかは人それぞれだと思うけど、それに関して女でも「男なんだからそんな事気にすんな(生えるもんは生やしとけ)」みたいな意見の人もいるけど、俺もどっちかって言ったらそういう意見でそう考える女の人の方がありがたいんだけど、ふと思ったのが、鼻毛とかも生やしっぱなしにしろと?笑 何も手入れせずに鼻毛ボーボーは、それは"自然"かも知れないけど身だしなみとしてはどうなの。みっともないでしょ。髭は仕事上剃らなきゃいけない人もいるとして、鼻毛は体毛のケアとして「美」よりも「身だしなみ」だと思うんだ。だから人が何を身だしなみとしてるかは人それぞれなんだから、男でも体毛のケアをしてたって良いんじゃないかな。時代は変わるんだよ。

6/20/2013

来世で、また!って言いたい。

輪廻転生というideaがある。その考えの下では、人がその人生で会う人は前世でも会った人なのだとか。全くみんな同じ、或いは数も増えも減りもしないって事はないとは思うけど、少なくとも今世で会う人は前世でも関係があった人なんだと思うとなんかそれって運命のようなものだよね。その人達がその人と前世でどんな関係だったかまで現生で同じになるのかとかは知らないけど、家族だった人は家族、恋人だった人は恋人、結ばれる事はない運命だった人はそう、死に別れた人はそうだったのかな。同じ思いをして来たのかな。そうだとしたら俺の後世の人も同じ思いをするんだね。そうじゃないなら、この世で俺が出来なかった事は来世でしたいな。して欲しいな。それは後の人に任せる。というか来世の人もある意味で俺なのかな。そしたらまたチャレンジって事になるね。記憶はないとしても。

好きな人が出来たら、どちらかが死ぬ時に、来世でまた会おうねなんて言いたい。あの世というのはあんまり信じてないから。この世というのは、少なくとも俺が考えるには、地球がなくなったり人類が滅亡するまではあると思うから、それは自分が死んだ後も存在し続けると思うから、魂だとかそういうものじゃなく形はどうであれ、上手く言えないけど、来世というか死んだ後の世界っていうのはこの世って意味では誰にでもあると思うの。死んでから行く世界って意味じゃなく。自分が死んだ後もこの世界はあるでしょ。きっと。それとも自分が死んだらこの世は自分にとってはこの世でなくなって、他の人にとってもそれはもう同じこの世ではなくなるのかな。わかんないね。変な言い方だけど、死んだ後のお楽しみだね。死んだ後もまた世界があると、死への恐怖はある意味無くなるね。また次の世があるさくらいに気楽に考えられる。別に今死ぬってわけじゃないけど。なんか、テロとかに巻き込まれて、これから殺されるんだなって状況になったとして、苦しみながら死ぬとしたら嫌だけど、例え死ぬ時に痛くても怖くても、死んだらまた次の世で生まれ変わってまた最初からやり直しって思えばそういう恐怖も薄らぐかなってなんか思った。そんな体験する事きっとないけど。

ま、"また"来世があるからなんて思うのもあれだと思うから、俺は自分のこの今生きてる世を楽しむよ。

自分は不完全な人間だと認める大事さ、必要性。

俺はFBで自分のタイムラインに思った事とかをたまに書くんだけど、そこじゃ頻繁に何でも書いて更新されちゃうから、後で見返せるように残しておこうと思ってここに書く。

以下、その投稿のコピー。

たまたま気になるタイトルだったから読んでた記事。この人が言ってる「本当に強い人」のあり方を正論とするなら、俺の考え方もそうだなって思った。だからといって俺が正しいとも強いとも言わないけど、少なくともそれが俺の考え方であり価値観であり、自分が思い、そのように生きたいと思う「素直さ」だと、とても共感した。読み進めていって、"自殺"の部分とは必ずしも関係ないけど、俺が人生とか生き方について考えたり素直でいたいと思う中で考える、俺が俺としている心の奥で持ってる幾つかのとても核心の部分と同じ事を他の人が書く物に見たのは驚いたし少し嬉しかった。自分の弱さだったり不完全さを認め、それを認識して生きられるのはみんなが出来る事やってる事ではないなと思う。ソクラテスの"無知の知"に似たものを感じた。物も人間も、不完全である事の方が多い。人間はなおさら。不完全である事が寧ろ自然。それが分かってない人、分かりたくない人、分かろうとしない人が多いなと思う。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/ogurahiroshi/20130619-00025800/

Kouhei - June 20th 2013 9:44 am

ダメなものはダメなの?ダメでもいいじゃん。人の世はなんて生きにくい。

人間弱い所はみんなあるわけで、それを俺は強がってないだけで、弱い所は弱い、苦手なものは苦手、ただ隠してないだけ。自分のダメな部分は認識してるし、改善した方が良いと自分で思えばそうする。或いは上手く付き合って生きて行けばいいとも思ってる。ただ、人によってはダメなものはただダメって考えなんだよね。ダメだからダメ。自分の考え価値観しか受け入れない。自分がダメと思ったものは何でもダメ。ヘン。おかしい。

それは俺のただの言い訳なのか。逃げてるだけなのか。俺こそが自分の考えを正当化しているだけなのか。

人間一人では生きられないと思うし、俺は実際そうだし、でも人と生きる事は色々大変だなとも思う。摩擦だったりすれ違いだったり。

ああ、人の世はとても生きにくいところだ。

Kouhei - June 20th 2013, 8:33 am.