5/22/2013

「死」というものへの恐怖と同時にそれを受け入れる覚悟


「死」に対する恐怖ってのはあるけど、同時に「死」というものを以て違う境地に行けるとも思うの。とは言っても死が全てを正当化するだとかは思わないから、死んだら神の下へとか、神の為に死ぬとかそういうのは違うと個人的には思う。それに死んだからってどっか別の世界に行けるとも思わない。そういう意味での「違う境地」ではないの。俺にとってはもし俺が死んだら俺は無になるだけ。でもその死ぬという現象そのものが何か違う境地への道でもあるのかなとも思う、そういう事。

「死」ってのは、老衰とか事故とかでない限り誰にでも訪れるものじゃないわけで、そういう意味では「死」ってのは殆どの人にとっては身近ではないもの。「生」でないことは即ち「死」という事なのだけれども、僕たちは「生」である事がとても普通である事のように感じてしまっていて、そしてそう生きているけれど、「生きている」っていうのは行為であって状態でもあるの。「死」っていうのは「生」と反対の状態なの。

だから、俺は死ぬのは嫌だし怖くもあるけど、自分がもし死ぬという事になったら、それは受け入れるし、それはある意味特別な事でもあるなと思うの。死ぬ事に対して足掻きたくはないなと思う。でも、もし病気とかで俺が死ぬというようになったら、俺は俺が生きた証を残して死にたい。俺という人間が生きていたという事が、誰にも忘れられてしまうような、そんな人生だったなんて事は嫌だから。

Kouhei - May 22nd 2013 10:47 PM

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